By whenis , 9 5月, 2019

中国語では、よく"百尺竿頭、更進一歩"、「百尺竿頭に一歩を進む」という形で使われます。百尺の竿の先に達していますが、なおその上に一歩を進もうとします。すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力することのたとえです。これはある程度の成果を収めた人を激励することに、もってこいの言葉ですね。

 実は、これはもともと禅の教えでした。宋の時代に、長沙に景岑(けいしん)という高徳の僧侶がいました。ある日、仏法に関する答弁会で、景岑は、「百尺竿頭に到達し、そこに止まってしまった人は、まだ真の悟りの境地に入っていない。百尺竿頭の先から更に一歩を進めて、十方世界(じっぽうせかい)、つまり全世界で自在に自己を実現できる」と言いました。

 仏教は悟りを求めて、修行を重ねる訳ですから、つまり、仏法の修行には頂点がないということですね。いくら努力した結果てっぺんに行き着いたとしても、「これでいい」と、満足してはいけません。何かの奥義を極めるには、更に努力しなければなりません。

By whenis , 8 5月, 2019

昔、楚の国に、養由基という弓の名人がいました。柳の木から百歩ぐらい離れたところに立って矢を射ると、百発百中で柳の葉の中心を射ることができます。周りの人は皆彼を褒め称えました。

 ところが、通りかかった一人が、「このぐらいで褒められるなら、私は彼に矢の射方を教えられる」と言いました。

 それを聞いて、養由基は気になって、「皆は私が上手だと言っているのに、あなたはこの私に、矢の射方を教えられるなんて言っている。それなら、私の変わりに柳の葉を射るのはどうかな?」と言いました。

 その人は、「私は左腕をまっすぐにして弓を持ち、右腕を曲げて弓を引き、矢を射るなど、技量を教えることはできない。しかし、あなたは、考えたことがあるか?今まで百発百中で柳の葉を射続けてきたが、息を整えることがうまくできていない。後になって疲れて、一発でも当たらなくなれば、これまでの百発百中の成果が無駄になってしまう」と話しました。

 「百発百中」、言葉の意味自体はとてもお見事なものですが、この故事の中では、何かを戒めているです。故事の出典は『戦国策』です。策士、蘇厲(それい)が白起(はっき)将軍の攻撃を阻止するために、この百発百中の故事を引用したのです。

By whenis , 8 5月, 2019

九割、助からない命が、かろうじて助かること。死ぬ可能性が九分、生きる可能性が一分の意味です。死を避けがたい危険な瀬戸際に立っているということも形容します。

 日本語では、中国語の四字熟語「九死一生」から転じて、一般的には「九死に一生を得る」という諺の形で用いることが多いです。

By whenis , 3 5月, 2019

「三教九流」は、宗教・学術上の各種の流派、色々な職業の人を表します。

 三教とは、中国で流行っていた儒教、道教と仏教を指します。中国の儒教って、あんまり宗教としては意識していないですが、儒教は宗教と言えるかどうか、昔から論争があります。いずれにしても、儒教は宗教よりも、中国、ひいては中国文化圏では、絶大な影響力を持っていることには間違いありませんね。

 また、九流という言い方は、一番最初に、『漢書』に出たものです。中国の春秋戦国時代、色々な思想流派が争う「百家争鳴」の時代だったのです。

 「百家争鳴」の「百家」は、実際、百種類がなく、6流派でした。陰陽家、儒家、墨家(ぼくか)、法家、名家と道家でした。『漢書』の編纂者、班固(はんこ)は、この6家に、更に、3家を加え、「九流」に分類しました。班固によって加えられた3家は、縦横家、雑家と農家です。

 要するに、春秋戦国時代のあらゆる思想流派ですね。なので、「三教九流」は、宗教と学術面の各流派及び社会の各職業の総称となります。

By whenis , 2 5月, 2019

牛にはたくさんの毛がありますよね。九匹の牛なら、更に九倍の毛になります。たくさんある中で、たった1本の毛は、どんなに少ないかってことがよく分かりますね。たくさんいる牛に生えた多くの毛の中の一本という意味から、問題にならないほどの小さなことを表す四字熟語です。取るに足りない些細なことを形容します。

 中国語の古語には、数字はいつも確かな数ではなく、「多い」或いは「少ない」という漠然とした意味を表すことが多いです。ですから、この言葉では、「九牛」は九匹の牛ではなく、九匹よりもずっと多くの牛、たくさんの牛を指します。そうすると、「九牛」は、広い範囲となります。そんな広いものに対する一毛というのが、極端に言えば誤差のような物の数にも入らない、くだらないものですね。

 中国で初めてこの「九牛一毛」を使った人は、『史記』を書いた偉大な歴史学者、司馬遷です。司馬遷は、歴史書『史記』を編纂し、大きな功績を残しましたが、個人的な運命は挫折ばかりでした。

 司馬遷は、北方の少数民族、匈奴との戦争で失敗し、捕虜となった李陵(りりょう)を弁護したため、当時の皇帝、前漢の武帝の怒りに触れました。宮刑、これは男性を去勢する刑罰ですが、当時では死刑に次ぐ重刑です。司馬遷は、そんな屈辱的な宮刑を処されました。

By whenis , 2 5月, 2019

「八斗之才」。斗とは、中国古代の計量単位の一つです。八斗もの才能を持っている。非常に才能があるということです。

 斗の他に、石と書いて、コクと呼ぶ計量単位もあります。1石=10斗です。

 「八斗の才」の出典と言いますと、南北朝の時代の南朝、宋の有名な詩人、謝霊運にまつわる話です。

 謝霊運は名門貴族の出で、祖父の謝玄が東晋を北方異民族の侵入から救った英雄として名高い人です。謝霊運自身は南北朝時代を代表する詩人です。特に彼が書いた山水詩が有名です。「八斗之才」は、彼は三国時代の魏の曹植を褒めたときに使った言葉です。

 曹植は曹操の息子で、文学の才能が非常に高い人です。謝霊運は曹植の才能をほめて、「天下の詩の才の全体を一石とすると、八斗は曹植、一斗は自分、残りの一斗を他の詩人が受け持っている」と言いました。

 「八斗之才」はこんな故事から来ています。まあ、謝霊運は確かに曹植の才能を非常に評価して尊敬していますが、自分は一斗の才を持っている。しかし、天下の詩人は残りの一斗を分けている。ということを考えますと、謙遜しているような、自慢しているような、どっちか分からなくなってしまいますね。

By whenis , 29 4月, 2019

日本語の「八」を含む四字熟語と言いますと、「八方美人」を思い出しますが。。。中国語にも「八方美人」と同じ意味の四字熟語もあります。「八面玲瓏」です。もともとの意味は窓が多いため、どこから見ても透き通っていることを表します。それから転じて、人との付き合い方は融通が効き、だれにでもやさしく接することを表します。

 人を形容するときに、一般的にマイナスな意味で使われます。日本語と全く同じです。ちなみに、「八面玲瓏」の出典と言いますと、マイナスな意味ではなく、いい意味でした。これは元の時代の詩人、馬熙(ばき)の詩「開窓看雨」(窓を開けて雨を見る)から来ています。詩の中では、"八面玲瓏多得月"、部屋の八方から美しい月が見えると詠んでいます。玲瓏とは玉の鳴る音、またそのような美しさという意味です。

 もともとの意味はとても美しいことですが、今は、「八方美人」というマイナスな意味となって、ちょっと残念です。

By whenis , 28 4月, 2019

日本語では、二つの動詞の順番を変えて、「七縦七擒」と言いますが、諸葛孔明が南征した時に孟獲を7度捕らえ7度放したという故事から来た言葉です。

 「擒」はつかまえる、捕虜にすること、「縦」は逃がすことです。諸葛孔明は何故孟獲を7回捕まえて、また、7回放したのでしょうか。面倒くさくありませんか?その目的はなんでしょう。

 こんな故事がありますので、ご紹介しましょう。

 三国時代、蜀の丞相諸葛孔明が、軍を率いて出征し、南部少数民族の叛乱を鎮圧しました。しかし、イ族の首領孟獲は屈服せず、いつも蜀の軍隊を攻撃していました。諸葛孔明は孟獲がとても勇敢な人で、信義を重んじ、地元では人望を集めていると聞きましたので、こんな人を配下にしたいと思い、計略をめぐらせ孟獲を捕えました。

 孟獲は今度は自分が処刑されるかと覚悟しました。しかし、諸葛孔明は縄を解き、ご馳走を用意してもてなし、更に、蜀の軍の陣形を見せました。諸葛孔明は「この軍はいかがかな?」と訊ねました。孟獲は意地を張って、「今回は油断して失敗した。あなたたちの陣形を見せてもらったので、私を放してくれるなら、次回は、必ず負かしてやるぞ!」と訴えました。諸葛孔明は笑って、本当に孟獲を釈放し、また戦おうと約束しました。

By whenis , 27 4月, 2019

"六月飛雪"、冤罪という意味です。

 もちろん、この六月とは、旧暦の六月を指します。つまり、7月中旬か、8月の初めになりますね。一年中もっとも暑いころですが、何故が雪が降ってきました。

 珍しいことは珍しいですが、真夏にたまたま強い寒気団があって、広い中国のこと、こんな気象状況が発生したでしょうか。

 科学的に解釈すれば、そうかもしれませんが、中国では、この言葉は、元曲のの名作『竇娥冤(とうがえん)』から出たものです。

 そのあらすじをご紹介します。

 主人公の竇娥(とうが)は、主人に先立たれ未亡人となり、姑と暮らしていました。竇娥はならずものに言い寄られ、それを拒むと、ならずものは姑を殺害した上、その罪を竇娥にかぶせました。竇娥は死刑を宣告され、処刑前に最期の言葉を残しました。その内容は、もし冤罪であれば、処刑された彼女の血は旗に飛び移り、真夏に雪が降り、楚州に三年間干ばつが続くというものでした。そして、処刑後にこれらの言葉は現実となりました。

 その後、この地に竇娥の父が科挙官僚として赴任すると、亡霊になって現れ、竇娥の父に自分の冤罪を晴らすよう懇願しました。その結果、裁判がやり直され、真犯人が処刑されました。

By whenis , 25 4月, 2019

"六親不認"ですが、字面の意味は、六親を認めない。

 中国の歴史には、「六親」に関して、特定の内容があります。その代表的な言い方が三種類あります。『春秋左氏伝』によりますと、親子、兄弟、姉妹、甥と母方の兄弟、妻の親族及び夫の親族だということです。『老子』によると、父子、兄弟、夫婦が六親だということです。そして、『漢書』によりますと、父、母、兄、弟、妻、子を指しているということです。この3種類の言い方がありますが、そのうち、三番目の言い方、つまり、父、母、兄、弟、妻、子という言い方が最も一般的です。つまり、血筋と婚姻関係で最も関係の親しい人たちです。

 中国では昔から大家族が集まり棲むというのが非常に重んじられてきました。つまり、直系家族の他に、傍系や親族も同じ土地に一緒に暮らします。一緒に住むことによって、農業生産で助け合ったりすることができるのです。

 これは中国社会の特徴の一つといえるでしょう。家族関係を非常に重視しています。ですから、昔から、家族の子弟が出世すれば、"衣錦還郷"ふるさとに錦を飾ると言って、家族全員にとって、大きな名誉になります。もちろん、出世した人は、親族の面倒をみることになります。