中国語の達人と呼ばれる人たちがいます。中国語が至極上手な人を指して言う言葉のようです。不肖ワタクシもこの言葉で人に紹介されることがあります。そんな風に紹介されても「こんなレベルで達人とは自分ながらおこがましい。」と恥ずかしい限りなのですが、いちいち反論したらキリがありませんし、逆に人格者ぶっているようにも思えてしまうので、笑って流しています。
こんな話になるのはそもそも「達人」にも明確な基準がないからです。理由は『中国語「マスター」の不都合な真実』で述べた「マスター」という言葉に同じ。「達人」という概念も「言ったもの勝ち」の言葉でしかありません。
もともと「master」という語彙には「達人」という語義もありますので、本来は同義のものなのでしょう。ただ、英語の「master」には他動詞用法があるので、「習得する」という語義も持ちます。日本語で「マスターする」という使い方をされるのはここからきています。
本来はほぼ同義であるはずの「達人」と「マスター」という二つの言葉。これに大きな格差を感じるのは私だけではないと思います。