By whenis , 4 7月, 2018

故宮を見学するとき、その正門の午門から入って、北のほうの神武門から出るという一本道を取るのが一般的ですが。景山公園はつまり、出口を出てすぐの道の向こう側にある小さな公園です。景山はその中にある小高い山です。この丘は43メートルあり、そんなに高くないですが、頂上に建てられた万春亭からの眺めは抜群でよく知られています。そこで、故宮の全景を見下ろすことができるほか、周りの景色も一望でき、まさに北京一の展望台といえます。

 景山で見た故宮のパノラマ。言葉ではその感動さをうまく言い表せないほどです。梅原龍三郎が描いた「樹海の中の金色の甍(いらか)と赤い壁の楼閣の景観は世界無類潤オ」という紫禁城の展望は、景山公園よりのものでしょう。

 この山の東部では、明の時代の最後の皇帝が自殺したこともありますので、明の終結を意味する場所でもあります。町の向こう側に、明と清の繁栄を物語る宮殿の海、また、ラストエンペラーに出た広大な風景なのです。

 故宮は北京市の中心部に位置しており、南には天安門、北には景山、東には王府井、また、西には中南海という配置になります。ここは昔紫禁城と呼ばれ、明・清時代の帝王が居住する王宮であり、中国に現存する規模がもっとも大きく、もっとも完全な古代木造建築群です。1987年、「世界遺産リスト」に指定されました。

By whenis , 28 6月, 2018

切り絵、中国流にいえば剪紙となりますが、彫り物、陶磁器など中国の旅の帰りのお土産は豊富で多彩です。大量生産のものもありますが、手作業で一つ一つ丁寧に作られているものも多いようです。今回紹介する「北京京城百工坊」は、まさに民間芸術、伝統技術が凝縮した世界です。

 大型活動弁公室の王主任によりますと、京城百工坊は2003年11月に、古い工場の建物を再利用してオープンしました。工坊は、日本語では「工房」が当てはまるようです。北京に伝わる民間芸術、工芸品の師匠さんや職人さんが勢揃いしているというわけです。その中でも、中国工芸美術大師という肩書きを持つ人が、北京には100人ほどいるそうです。

 この建物の中は30室ほどに区切られています。早速、のぞいてみましょう。「葫芦坊」、瓢箪(ひょうたん)のことです。ひょうたんは、水や酒を飲むグラスとして使われたり、水をすくう生活の道具でした。乾燥した表面に絵を書き、飾り物として、珍しい民芸品になっています。この部屋には、たくさんのひょうたんがぶらさがっていました。

 「泥人形坊」。これは泥で作る人形や動物類の制作室です。京劇の役者の顔面を並べた人形もここで作られていました。

By whenis , 26 6月, 2018

北京のメインストリート・長安街。東西に走るこの道路と二環路(第2環状道路)が交差するところが建国門です。北京空港から高速道路で中心部に向かい、このあたりにたどり着くと、「北京にやってきた」という気分になるものです。一帯はホテルや高層ビルだらけですが、城壁のような古い建築物が唯一残っています。それが、今回紹介する「北京古観象台」、つまり、天文台です。ここに、王玉民博士を訪ね、足跡をたどってみます。

 門には、「観象台」のプレートが残っています。北京古観象台は世界でも歴史が古く、明代の1442年に作られたというから564年の時を刻んでいます。しかも1929年までは観測を続けていたといい、同じ地点で観測を続けた施設としては世界最古にあげられるそうです。当時のままの機材を保存、展示して博物館としての役割を果しているのもうなづけます。

 城壁のように見えたのが、実は観測台です。高さ14メートル、東西23.9メートル、南北20.4メートルに8基の天体観測器が並んでいます。明代に作られたころは「観星台」と呼ばれ、清代になって「観象台」、その後は、「国立天文陳列館」「北京天文館」などとも称され、1983年から一般広く公開されるようになりました。

By whenis , 25 6月, 2018

中国の発展というと、経済、政治面に目がいきがちですが、昨年「神舟6号」という有人宇宙船の打ち上げに成功した例に見られるように、科学技術の面でも著しいものがあります。そこで、今回の博物館めぐりは、中国科学技術館を訪ね、その一端を見てみたいと思います。

 いま、国内には、最近オープンした四川科学技術館を含め、30を超える科学技術館があります。2000年に開館した上海科学技術館が規模としては最大です。ほかに、科学知識の普及を目指した博物館が260館。

 そうした中で、北京にある中国科学技術館は国内の第一級のものだと朱幼文研究員は紹介してくれました。建築面積は4万3000平方メートル、1988年に工事が始まり、2000年から一般公開が始まりました。A館、B館、C館と3つの大きな建物があり、A館は主要展示ホール、B館はスクリーンを備えた映像館、そしてC館は3歳から10歳までの児童を対象にした施設となっています。

 多くの指導者がここを訪れています。館の看板はとう小平氏、A館の入り口では「科学の精神を高めよう、科学知識を普及させよう」という江沢民前国家主席の自筆の呼びかけが、目を引きます。

By whenis , 23 6月, 2018

地下鉄2号線の朝陽門で降り、東のほうへ歩き出すと、中国外務省の大きなビルが見えます。近代的なオフィスビルが多く、いつも人がせわしげに動いています。もう少し、東に足を向けてみましょう。右手に、時代から取り残されたような門柱が建っています。道路(朝陽門外大街)をはさんで反対側に、東岳廟というお寺があります。700年の歴史がある道教のお寺で、ここが今回紹介する北京民俗博物館です。

 北京でただ一つの民俗にしぼった博物館で、人々の暮らしぶりがよく伝わる博物館です。1999年に一般公開が始まったばかりですので、歴史はさほど長くありません。ただ旧正月のお祭り・廟会はずっと前から続いており、福を求める北京市民でごった返します。

 まず、お寺のほうに足を踏み入れてみましょう。76人の偉人の像が飾られています。一人一人にはお付きの人が10人ほどいて、そのうちの一人が、犬だったり、カエルだったりします。見ていて楽しくなります。本殿に通じる通路には、赤いお札がいっぱいぶら下がっています。旅の安全、商売繁盛、受験など8つの願い事がかなうそうで、自分の名前を記入して、くくりつけてあります。日本の神社で見られる絵馬とそっくりです。

By whenis , 22 6月, 2018

中国は多民族国家です。13億といわれる全人口のうち、圧倒的に多いのは漢族です。納西族、苗族、タイ族、回族、満族、朝鮮族……。みなさんは、どのくらいの民族の名前を覚えているでしょうか。全中国には56の民族が暮らしているそうです。これらの民族の歴史や生活に触れることができる場所が北京にあります。中華民族博物院、別の名を中華民族園といいます。「民族」を主眼にした博物館の役割に、散策が楽しめる公園部分からなっています。

 天安門広場の真北、国家オリンピック公園地区に、中華民族博物院はあります。1992年に竣工した北園、97年に竣工した南園、合わせて40万平方メートルという、とてつもない広さです。ここに、約40民族の居住区が再現されています。

 案内してくれたのは張沢菊さんという摩梭族のお嬢さんです。雲南省の麗江に多く住み、納西族の仲間だそうです。

 張さんによれば、1600万人いる壮族のような大民族もいれば、数千人という文字通りの少数民族もいます。最も少ないのは、チベット自治区に住む珞巴族で2905人だそうです。ここには自民族の文化や伝統の紹介のために、各地からの少数民族が交代でやって来て、1年で三分の一は入れ替るそうです。張さんは、北京での仕事に誇りを持っています。

By whenis , 21 6月, 2018

中国の博物館というと、古い歴史に関係するものが多く並んでいる、そんな印象を受けます。ちょっと趣向を変えて、美術館はどうでしょう。今回は中国美術館を訪ねます。

 場所がなんといってもいい。故宮の北門を出ると五四大街に出ます。道を渡れば向かい側は景山公園です。この五四大街を東の方にぶらぶら歩くこと10分、風格のある建物、中国美術館が見えてきます。新中国成立後、北京には10大建築物が作られましたが、人民大会堂、国家博物館(元革命歴史博物館)、北京駅などと並び、ここもその一つです。

 建築が始まったのが1958年、1963年に国家一級博物館としてオープンしました。館の面積は2万7000平方メートル、これを6万7000平方メートルまで広げる計画があるそうです。中国美術家協会の理事で、副館長の馬書林さんによると、ここは、近現代の中国の大家を中心に10万点以上の作品を擁しています。中、小の展示室ではこうした伝統画の常設展が短い期間で開かれます。そして、大ホールでは企画展。取材で訪ねた時は「アメリカ芸術300年展」が開かれていました。アメリカ原住民・インディアンの生活、初代大統領の誕生、そして前衛アートまで、これほど規模の大きいアメリカ展の試み初めてといい、平日にもかかわらず大にぎわいでした。

By whenis , 20 6月, 2018

京劇は中国が世界に誇る文化です。きらびやかな衣裳、ダイナミックな役者さんの動き、ドラの音、本場の雰囲気を味わいたい、と思う人はたくさんいます。しかし、短い日程で中国旅行にやってくる人たちにとっては、公演日程などタイミングが合わないこともあり、あきらめざるを得ません。

 梅蘭芳という京劇の役者の名前を聞いたことがあるでしょうか。この人の名前をつけた梅蘭芳記念館という小さな博物館が北京にあります。今回はここをご案内しましょう。

 1994年から館長を務める劉占文さんは、社会、文化教育の基地としても記念館を役立たせたいと頑張っています。劉さんの話や館の資料から京劇の歴史を簡単にたどってみます。京劇は、歌と踊りと伴奏が一体となった総合芸術です。歌やせりふ、これにしぐさ、立ち回りといった動きが加わります。200年に及ぶ歴史を経て、大衆に愛されるようになり、北京や上海には専用の劇場がたくさんありました。北京に残るそんな劇場の一つを訪ねてみると、観衆はスイカの種をかじり、お茶をすすりながら、舞台を楽しんでいます。

 さて、梅蘭芳は1894年、北京の前門、庶民の街に生まれました。祖父が清朝時代の著名な京劇役者、父も役者、母や祖母も役者さんの娘というように、まさに梨園の名門に生まれ、役者にはなるべくしてなった、ともいえるでしょう。

By whenis , 19 6月, 2018

元、明、清と三代にわたって北京の人たちに時を告げつづけた場所、それが鐘楼と鼓楼でした。鐘はゴーンという鐘、鼓はドン、ドン、ドンという太鼓です。今回の博物館めぐりは、この北京鐘鼓楼文物保管所、故宮の北、北海公園に近いところに建つ鐘鼓楼です。

 明の時代、1420年に建てられたといいますが、火災などもあり、今、お目にかかれるのは、1749年、清の時代に改築されたものです。

 鼓楼には一つの大太鼓と24の小太鼓がありました。昔、中国では、2時間をひとくくりにして「更」と呼びました。水時計が正確な「更」を告げると、これを聞いた太鼓の打ち手25人が、リーダーの指示のもとで太鼓をたたくのです。そして、鐘がつかれます。太鼓と鐘、合わせて108回、これら「更夫」と呼ばれる人たちで、市民に時間が伝えられたのです。複製品ですが、水時計も鼓楼には残っており、30分に1回で、太鼓の実演を見ることもできます。

 太鼓と鐘の音は、いまの前門あたりまで伝わったといいますから、まさに都のシンボルだったのでしょう。ところで「更夫」さんたち、うっかりして太鼓をたたくのを忘れたりしなかったのでしょうか。文物保管所の朱英麗さんに聞いてみたら、「記録にそんなことが残っていませんが、みんな大きな使命感を持っていたはずですよ」とのことでした。

By whenis , 18 6月, 2018

北京には4つのお城の名前がつけられています。中心となるのは紫禁城、つまり故宮です。それを囲むようにして、皇城と呼ばれる地域があります。北の地安門、東の東安門、南の中華門、西の西安門に囲まれた一画です。その外側、いまで言えば北京をぐるりと回る地下鉄2号線に囲まれた部分が内城、そして前門から南の一帯が庶民が住んでいた外城です。もちろん、いまは地名として残っているものの、門そのものはほとんどが取り壊されています。

 さて、その皇城の全景をめぐり合えるのが、その名も北京皇城芸術館です。中に入ると、18世紀の清の時代の皇城が500分の1の模型で作られています。故宮の屋根はいまと同じ黄色、故宮を取り囲むように大、小の住居が並んでいます。故宮に仕える職員の住まいもあれば、医師や衣裳を作る専門家の家、或いは食糧の貯蔵庫なども並んでいます。故宮の広さは南北に2790メートル、東西に2300メートルというのも、この模型で分かりました。

 この皇城芸術館は、故宮の東側にあります。故宮から長安街を東の方向、つまり北京飯店や王府井の方向に歩き出すと、高い赤い色の塀があります。この中は、菖蒲河公園といって、水が流れる散策路になっています。この公園の中にあるのが皇城芸術館です。