By whenis , 3 8月, 2018

この駅は当初"八角村"と呼ばれ、石景山遊楽園が建てられたあと、「八角遊楽園」と改められた。付近には、この遊楽園のほか老山自転車館、マウンテンバイク場とBMX(競技用の小径自転車)場がある。

 観光スポット

 石景山遊楽園(石景山游乐园)

 ここはヨーロッパの雰囲気をもった大型アミューズメントパークである。数多くのアトラクションのほか、シーズンごとにイベントも行われている。とりわけ廟会とよばれる縁日は伝統的なものではなく、西洋風にアレンジされたもので、北京の8大廟会の1つになっている。

 入園料:10元/人

    4月1日~10月31日 8:30~17:00

    11月1日~3月31日 9:00~16:30

 アクセス:地下鉄A出口より出て西方向へ徒歩およそ200メートル。

 老山自転車館

 ここは2008年の北京オリンピックで自転車競技が行われたスタジアムである。自転車館、マウンテンバイク館、BMX競技館の3つに分かれている。オリンピック後は自転車プロジェクトの普及の場として利用されている。

By whenis , 22 7月, 2018

2008年のオリンピックを契機に、北京市内では新たに5号線、10号線、4号線といった地下鉄路線が開通し、現在は15号線の建設工事が行われている。まるで最近の出来事のように思われるが、地下鉄はすでに40年以上の歴史を持っている。

 北京で初めて地下鉄工事が開始されたのは、1965年7月1日である。中国初の地下鉄である。およそ4年の歳月をかけ、1969年10月に開通し、1号線と名づけられた。この時、ワシントン、サンフランシスコ、シンガポール、ソウルといった国際都市でさえ、まだ地下鉄はなかった。北京も人口300万足らず、移動は歩行か、人力車でバスの乗る人も少なかった時代に、戦争に備えた軍事施設として建設されたのである。

 1号線は北京市内を東西を貫き、北京の金融、トレンド、政治、商業の4つの中心地をつないでいる。また軍事博物館、首都博物館、国家大劇場、故宮、天安門といった有名な観光スポットがたち並ぶ路線でもあり、古代の北京と現代の北京をつないでいる。

 蘋果園駅(苹果园站)

By whenis , 20 7月, 2018

現在、北京市内にはかつての城壁がわずかに残るばかりだが、明、清時代の北京は城壁に囲まれた街であった。城壁は内側の城壁と外側の城壁という二重の城壁から成っていた。「内九外七」と言われ、これらの城壁には内壁に9 つ、外壁に7 つ、あわせて16の門があった。しかし、この門の中に現在の復興門と建国門は含まれていない。

 以前、この二つの門は、通行の便のためにただ城壁に穴をあけただけのものであり、通称、後明門と長安門と呼ばれていた。1946年に後明門は建国門、長安門は復興門と改められたのである。

 地下鉄の駅名に「門」がつく名前が多いのは、この城壁の門の名残である。現在、駅の周りには中国人民銀行や中国銀行監督局、中国証券監督管理委員会や国内外の銀行が集中する「金融街」となっている。

 観光スポット

 呂祖宮

 ここは清代に建てられた道観(道教寺院)で、現存する中でも比較的、小規模のものである。現在北京市の重点保護文物に指定されている。

 アクセス:地下鉄A出口出て、右400メートルほど。

By whenis , 18 7月, 2018

この線は地下鉄1号線の延長路線で、東へと伸びています。2001年に着工し、2003年に開通しました。四恵駅を出発し、土橋駅が終着駅です。およそ18キロに13の駅が設置されています。この線の開通により北京の東エリアが大きく発展しました。

 高碑店駅

 昔、国は南でとれた食料を北へ運ぶために運河を利用しましたが、このあたりは遼・金の時代、その運河の埠頭でした。皇帝のための食糧の集散地で当時は非常に栄えていました。

 また民間に伝わる話では、高碑店はかつて、高蜜店という名前だったそうです。これはこの地域には養蜂場があり、蜂蜜を買い求める人が多かったことに由来しています。

 観光スポット

 中国紫檀博物館

 中国で最大規模の紫檀芸術が鑑賞できる博物館です。しかも民間の個人博物館です。全国政協商委員の香港富華国際グループの代表、陳麗華がおよそ2億元を投じてつくったもので、1999年に開館しました。貴重な木材で作られた調度品・芸術品など、約1000点が収蔵されています。

By whenis , 14 7月, 2018

東直門は元代に建設され、崇仁門と呼ばれていました。明代初めに改築され、明の洪武年間に現在の東直門となりました。北京城が建設される際、材料となる木材の運搬口であったため「木門」と呼ばれていたそうです。この門は北京内城にあった九つも門の中で一番小さな門でした。しかし、現在は長距離バスの発着所やバスステーションがあり東エリアの交通の中心となっています。バスのほか、地下鉄2号線の乗り換え駅、そして空港線の発着駅でもあり、いつも旅行者の姿が絶えない場所です。

観光スポット

南館公園

 現在の南館公園がある場所はもともと銅工場でした。1956年に北京市は緑地化計画を進め公園となりました。公園の北側にはロシア大使館があり、大使館が置かれる前には北京で初めて造られたギリシア正教の教会がありました。ここが一般には「南館」と呼ばれていたことにちなみ、南館公園となりました。

アクセス:地下鉄A出口出て、東直門内大街に沿って西へ。

東直門内北中街を右折し北へ。

By whenis , 13 7月, 2018

五道口は「北京の国連」のような場所です。高校や大学がたくさんあります。語言大学、清華大学、北京大学などなど。とりわけ語言大学には世界各国からの留学生が中国語を学んでいます。ここには100を以上の異なる地域からやってきた外国人留学生が集まる場所と言われています。そのため、中国でありながら、様々な文化の片鱗が感じられる場所です。カフェや多国籍のレストランも多く、各国のグルメも楽しめます。とりわけ韓国人学生が多いため、街も韓国色が濃く、歩いているとハングル語が聞こえることも珍しくありません。

 観光スポット

 北京語言大学

 この大学の建物はこのエリアのランドマーク的な役割を果たしています。「万国壁」と言われる壁には160カ国の国名が刻まれています。160カ国からおよそ7000名を超える学生が在籍しており、「ミニ国連」とも表され中国学習に最適の大学です。2008年に北京オリンピックが開催された際には、「ミニ五輪」という言い方も登場しました。キャンパス内を歩けば、韓国のチマチョゴリ、日本の和服、タイの織物、メキシコの麦わら帽子など、各国を代表する品々を見ることができます。

By whenis , 12 7月, 2018

北京で大鐘寺と言えば、多くの人がインテリア商業区や家具販売市場、アンティーク取引場を思い浮かべるかもしれません。大鐘寺そのものと境内にある国宝級の文物を連想する人は少なく、ここには古鐘博物館があることを知る人はさらに少ないでしょう。

 現在、駅周辺には中国政法大学、中央財経大学、首都体育学院などがあり、文化的な雰囲気が感じられます。

 観光スポット

 大鐘寺古鐘博物館(大钟寺古钟博物馆)

 大鐘寺はもともと覚生寺という名前でした。清代には重要視されていた寺院の1つで清代の文献によれば、北京には291箇所の寺院があり、このうち大鐘寺は万善殿や万寿寺に続くものでした。創建は1733年で雍正帝の命令で造られました。現在寺院の山門の上に掲げられている額は雍正帝が書いたものです。

 かつて寺院に残された文物は多くが失われましたが、博物館には永楽大鐘と鐘器が収蔵されています。もともとは寺院のものではありませんが、宋代のものもあります。最大で最古の鐘は永楽大鐘で、寺の名前はこの鐘に由来しています。

By whenis , 9 7月, 2018

西単は現在、若者に一番人気のエリアであり、昔から商業地区として栄えてきた場所です。周囲には高層ビルが林立し、人の流れも多く、北京で西単の名前を知らない人はいないぐらいですが、その名前の由来を知る人はあまりいません。

 元々ここには、牌楼と呼ばれる木で作られた屋根つきの門がありました。これが西単牌楼と名づけられ、人々には「西単」と呼ばれました。西単牌楼には、「眺雲」の二文字が、そして、対として東に作られた東単牌楼には、「就日」の二文字が掲げられました。これは「東に日の出を見、西に彩雲を見る」という意味です。1916年、袁世凱がこの二文字をそれぞれ「景星」と「慶雲」に改めたというエピソードも残っています。1954年に学者らの反対があったにも関わらず、道路拡張のため、撤去され、「西単」、「東単」の名前だけが残りました。

 北京オリンピックが開催された2008年に、西単文化広場に新たに西単牌楼が再建されました。

 観光スポット

 民族文化宮博物館

 1959年に、中国成立10周年記念の十大建築の一つとして建てられました。全国55民族の文物およそ5万件を収蔵しています。収蔵品の種類と量は国内の民族博物館の中でも群を抜いています。

By whenis , 6 7月, 2018

「老舎記念館」の張文生さんの案内で、中の散策を続けましょう。正面の母屋は生活の拠点でしたが、両脇の部屋には、老舎の足跡や作品が並んでいます。老舎が苦労して学校を出たことは前回、お伝えしましたが、最初から小説を書いたわけではなく、北京や天津で教育の仕事に携わりました。1924年から5年間は、イギリスのロンドン大学東方学院に招かれ、中国語を教え、ひまを見つけては創作活動に取り組みました。

 1930年に中国に戻った老舎は、山東省の大学で教鞭をとり始めました。夫人と知り合ったのもこの時代。職業作家としてはじめて取り組んだ作品「駱駝祥子」もこのころのものです。この作品は日本でも翻訳、出版されており、映画も公開されました。舞台は旧社会の北京です。農村育ちで身寄りもない祥子が、北京に出てきて人力車夫になります。必死で働き、お金をため、底辺の生活から脱出を果たそうとする祥子。しかし、次々に襲ってくる悲惨な運命。人をけだもののように変えた旧社会を強く非難するメッセージを発した作品でした。

 張文生さんによりますと、老舎は生涯で900万字にのぼる作品を残したそうです。それがすべて、出版されているわけではありません。抗日戦争の多くの文芸作品を書き、新中国成立後は新劇作品にも取り組みました。いま、彼の作品は38カ国語に訳されているそうです。

By whenis , 5 7月, 2018

地図を見ていたら、「文学館路」と名づけられた道が、北京にありました。その中央に「中国現代文学館」があるので、早速ここを訪ねてみることにしました。

「そうですよ。わが博物館にちなんで道路の名前がつけられたんです。こういう例はあまりないでしょう」と自慢げに迎えてくれたのは、副館長の李栄勝さんです。この博物館は2000年にオープンしたばかりで、まさに中国の現代文学を知るにはうってつけの場所です。  

 文学館の必要性については、著名な作家・巴金が1980年代から提唱していました。85年には万寿寺の中に看板を掲げ、少しずつ準備が進められてきました。この願いがかない、文学館の正門前には左右8メートル、高さ2メートル、重さはなんと50トンもある石碑が置かれ、巴金自筆の文字が刻まれています。  

「我々は文学の宝庫を持っている。それは中国の作家たちが後世に残した傑作である。それらの作品は我々を支え、育て、励ましてくれる。この世に生きている一人ひとりが、他人に対してもっと役に立つよう育ててくれる」といった意味です。