中日成語・ことわざ

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中日成語・ことわざ

百尺竿頭

中国語では、よく"百尺竿頭、更進一歩"、「百尺竿頭に一歩を進む」という形で使われます。百尺の竿の先に達していますが、なおその上に一歩を進もうとします。すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力することのたとえです。これはある程度の成果を収めた人を激励することに、もってこいの言葉ですね。

 実は、これはもともと禅の教えでした。宋の時代に、長沙に景岑(けいしん)という高徳の僧侶がいました。ある日、仏法に関する答弁会で、景岑は、「百尺竿頭に到達し、そこに止まってしまった人は、まだ真の悟りの境地に入っていない。百尺竿頭の先から更に一歩を進めて、十方世界(じっぽうせかい)、つまり全世界で自在に自己を実現できる」と言いました。

 仏教は悟りを求めて、修行を重ねる訳ですから、つまり、仏法の修行には頂点がないということですね。いくら努力した結果てっぺんに行き着いたとしても、「これでいい」と、満足してはいけません。何かの奥義を極めるには、更に努力しなければなりません。

百発百中

昔、楚の国に、養由基という弓の名人がいました。柳の木から百歩ぐらい離れたところに立って矢を射ると、百発百中で柳の葉の中心を射ることができます。周りの人は皆彼を褒め称えました。

 ところが、通りかかった一人が、「このぐらいで褒められるなら、私は彼に矢の射方を教えられる」と言いました。

 それを聞いて、養由基は気になって、「皆は私が上手だと言っているのに、あなたはこの私に、矢の射方を教えられるなんて言っている。それなら、私の変わりに柳の葉を射るのはどうかな?」と言いました。

 その人は、「私は左腕をまっすぐにして弓を持ち、右腕を曲げて弓を引き、矢を射るなど、技量を教えることはできない。しかし、あなたは、考えたことがあるか?今まで百発百中で柳の葉を射続けてきたが、息を整えることがうまくできていない。後になって疲れて、一発でも当たらなくなれば、これまでの百発百中の成果が無駄になってしまう」と話しました。

 「百発百中」、言葉の意味自体はとてもお見事なものですが、この故事の中では、何かを戒めているです。故事の出典は『戦国策』です。策士、蘇厲(それい)が白起(はっき)将軍の攻撃を阻止するために、この百発百中の故事を引用したのです。

九死一生(きゅうしいっしょう)

九割、助からない命が、かろうじて助かること。死ぬ可能性が九分、生きる可能性が一分の意味です。死を避けがたい危険な瀬戸際に立っているということも形容します。

 日本語では、中国語の四字熟語「九死一生」から転じて、一般的には「九死に一生を得る」という諺の形で用いることが多いです。

三教九流(さんきょうきゅうりゅう)

「三教九流」は、宗教・学術上の各種の流派、色々な職業の人を表します。

 三教とは、中国で流行っていた儒教、道教と仏教を指します。中国の儒教って、あんまり宗教としては意識していないですが、儒教は宗教と言えるかどうか、昔から論争があります。いずれにしても、儒教は宗教よりも、中国、ひいては中国文化圏では、絶大な影響力を持っていることには間違いありませんね。

 また、九流という言い方は、一番最初に、『漢書』に出たものです。中国の春秋戦国時代、色々な思想流派が争う「百家争鳴」の時代だったのです。

 「百家争鳴」の「百家」は、実際、百種類がなく、6流派でした。陰陽家、儒家、墨家(ぼくか)、法家、名家と道家でした。『漢書』の編纂者、班固(はんこ)は、この6家に、更に、3家を加え、「九流」に分類しました。班固によって加えられた3家は、縦横家、雑家と農家です。

 要するに、春秋戦国時代のあらゆる思想流派ですね。なので、「三教九流」は、宗教と学術面の各流派及び社会の各職業の総称となります。

九牛一毛(きゅうぎゅういちもう)

牛にはたくさんの毛がありますよね。九匹の牛なら、更に九倍の毛になります。たくさんある中で、たった1本の毛は、どんなに少ないかってことがよく分かりますね。たくさんいる牛に生えた多くの毛の中の一本という意味から、問題にならないほどの小さなことを表す四字熟語です。取るに足りない些細なことを形容します。

 中国語の古語には、数字はいつも確かな数ではなく、「多い」或いは「少ない」という漠然とした意味を表すことが多いです。ですから、この言葉では、「九牛」は九匹の牛ではなく、九匹よりもずっと多くの牛、たくさんの牛を指します。そうすると、「九牛」は、広い範囲となります。そんな広いものに対する一毛というのが、極端に言えば誤差のような物の数にも入らない、くだらないものですね。

 中国で初めてこの「九牛一毛」を使った人は、『史記』を書いた偉大な歴史学者、司馬遷です。司馬遷は、歴史書『史記』を編纂し、大きな功績を残しましたが、個人的な運命は挫折ばかりでした。

 司馬遷は、北方の少数民族、匈奴との戦争で失敗し、捕虜となった李陵(りりょう)を弁護したため、当時の皇帝、前漢の武帝の怒りに触れました。宮刑、これは男性を去勢する刑罰ですが、当時では死刑に次ぐ重刑です。司馬遷は、そんな屈辱的な宮刑を処されました。

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