By whenis , 18 9月, 2016

曾国藩の時代は清王朝が繁栄から衰弱へと向かっている時期でした。「同治中興」という局面の中の曾国藩はこの過渡期の核心的な人物で、政治や軍事、文化、経済などの多くの面で大きな影響を及ぼし、その影響力が今日でも続けています。そのため、彼は中国近代史上最も議論されている人物にもなっています。

政治家ー曾国藩は政治行政について、「行政にとって一番肝心なことは道徳と才能を備えている人材を採用することだ」と強調しました。また、外交について、彼は西洋人による中国侵略を非常に恨む一方、西洋のすべてのものを盲目的に排除するのではなく、「その進んだ技術を学ぶべきだ」と主張しています。

毛沢東と蒋介石は曾国藩のことを非常に敬服しており、毛沢東は曾国藩の軍事思想を受けて、中国の「紅軍」に厳しい軍規「三項目の紀律、八項目の注意」を制定し、また、蒋介石は中国近代軍事人材を養成した学校「黄浦軍校」で、曾国藩の「民衆を愛する歌」を教材として学生を教えたことがあるということです。

曾国藩(1811ー1872)は、中国歴史上最も影響力のある人物の一人です。彼は湖南省のある辺鄙な村から読書人の身分で上京し、科挙の試験に合格した後、官吏として採用され、37歳の若さで正2位までに出世しました。

By whenis , 17 9月, 2016

新中国成立後の1954年、中国作家協会の会員となりました。また、上海政治協商会議委員、中国作家協会上海支部理事などの職を歴任。1966年、文化大革命の期間中に、夫人と共に自殺しました。

翻訳以外に、傅雷は多芸多才の人物です。彼の観察力は鋭く、周りの事物をよく見極めています。彼はペンネームで小説や文学評論を発表したほか、文学や出版、音楽、芸術などの分野で自分の意見を述べたことがあります。例えば彼が書いた「世界美術名作20講」は内容豊かな著作で、美術史を研究する学者にとっても、参考になる本です。

彼はフランスの作家バルザックの著作「ゴリオ爺さん」など14作以外に、ロマン・ロランの大河小説『ジャン・クリストフ』なども翻訳しました。その他、自分の息子である・傅聡に書いた手紙から編集した「傅雷家書」という本は、広く愛読されています。

傅雷(1908ー1966)は中国近代の著名な翻訳者、外国文化研究者です。

By whenis , 16 9月, 2016

1934年に、処女作である「熱南山地居民生活素描」という散文を発表しました。抗日軍事基地で、短編小説や散文などを書きました。1950年、中篇小説「ウィ塘記事」、1958年1月に、代表作「青春の歌」を発表しました。1959年、楊沫はこの代表作を映画脚本に書き直し、映画化されました。この映画が上映された後、新中国成立10年間に最も素晴らしい国産映画の一つだと高く評価されました。そして、1978年に、短篇小説「美しいヒ メユリ」、1980年に、長編小説「東方欲暁」(第一部)、「日記でない日記」、1981年に、「楊沫散文選」などを発表しました。

1995年12月、北京で81歳で病死しました。

楊沫(1914ー1995)は中国近代の女流作家です。

By whenis , 15 9月, 2016

銭鐘書は博学で、数カ国の外国語に精通したほか、文学創作や学術研究などの面でも卓越した貢献をしました。彼は中国文化に大きな影響を与えました。一つは、文化批判の精神で中国と世界を見つめたこと、もう一つは、いかなる理論や学説にも拘らないと同時に、いかなる権威に対しても盲目的に従わなかったことです。

1941年に、散文集「人生を書き写す」、1946年に、短編小説集「人・獣・鬼」、1947年に長編小説「囲城」、1948年に、「談芸録」を発表しました。そのうち、小説「囲城」は多くの外国語に翻訳されて、出版されました。

新中国成立後、「宋詩選」、「管錐篇」五卷、「七綴集」、「槐聚詩存」などを出版しました。そのうち、1979年に出版された「管錐篇」は彼の研究成果を集大成した学術著作です。

銭鐘書(1910ー1998)は中国近代の著名な学者、作家です。

By whenis , 14 9月, 2016

短編小説・「海の夢」は52歳の翻訳家・繆可言を描いた物語です。彼は、一人で海辺の療養所にやって来ました。長年の間、海に憧れ続け、ついに大海原を目の当たりにした彼は、特別な感慨をもって海を眺めます。文革によって青春を奪われ、結婚の時機をも逸してしまった彼は、5日間の滞在中、海水浴を楽しみ、傷ついた心が癒されてゆくのを感じる一方、体力の衰えなどから、自分がもう若くはないことを痛感します。花が溢れ、美味しい食事に恵まれた療養所での生活に欠けているもの??不幸にして亡くなった戦友や自分の青春の志を呼び戻すことはできないことを彼は感じ始め、予定を早めて帰る決意をします。海に別れを告げに行った夜のこと、彼は海に向って大声で叫び、近くにいた若い男女を驚かせてしまいますが、それをきっかけにして、愛情や青春、自由などというものは、永遠になくなりはしないと悟ります。一度は海への憧れを捨てかけた彼であるが、再び海に対する憧れの気持ち(人生への希望)を回復させて、その地を後にします。

By whenis , 12 9月, 2016

「秦腔」は賈平凹の12番目の長編小説で、彼のふるさと・陝西省丹鳳県を舞台として描いたものです。この小説は素朴な言葉で、改革開放政策が実施された後の農民たちの価値観の変化をうまく表現し、また、ふるさとに対する深い感情を表しています。賈平凹は2003年からこの小説を書き始め、2年間をかけて、4回書き直した後、やっと完成したものです。彼の作品の中で、最も力を入れて創作したものだと言われています。この小説が発表された後、社会で大きな反響を引き起こしました。評論家は「この小説は、社会過渡期における農村で発生した大きな変化を描写し、現代中国の農村を描く作品の中で、一里塚的な意義のある傑作だ」と評価しています。

1975年、西北大学中国語学部を卒業。その後、陝西人民出版社、雑誌「長安」の編集、西安市文学連合会創作研究室主任、文学聯合会主席、全国政治協商会議委員、陝西省作家協会副主席、西安市人民代表大会代表、西安市作家協会主席などの職を歴任しました。1974年から作品を発表し、長編小説「高老庄」、「廃都」、「狼を思い」、「秦腔」、「賈平凹文集」以外に、中篇小説「音声を製造する」、記述文学「私が農民である」などがあります。そのうち、「廃都」はフランスの文学賞、「浮躁」はアメリカの文学賞を受賞しました。 

By whenis , 10 9月, 2016

「北京の中学校で教えていた15年のうち、10年が文化大革命の時でした。その間、中国の教育は大きな打撃を受けたのです。学校には正常な教育秩序もなく、教育者としての役割を十分に果たすことができなかったとき、そのように混乱した教育現場から離れ、別のことをしようと思いました。『担任教師』はその文革時代の教育現場の混乱を描いた作品です。もし、文化大革命がなかったら、私は教師を続けていたでしょう」。この小説が発表された後、社会で非常に大きな反響を引き起こし、新しい時期の文学代表作だと評価され、また、全国優秀短編小説賞を受賞しました。これにより、劉心武の文壇での地位も確立されました。

By whenis , 9 9月, 2016

彼女は自分の文学創作について、次のように述べています。

「私は小さい頃から作家になり、創作活動をしたいと考えていたわけではありません。私達はずっと良く勉強し、進学して、医者かもしくは科学者になるように父母から言われてきました。自然科学に携わる仕事はとても崇高な職業であると思っていただけでした。この考えはこの30年間ずっと私に影響を与えてきたのです。そこで私は奮い立って勉強に励み、全ての科目に大変興味を持ち、また素晴らしい成績を修め、自分でも進学は問題ないと思っていました。学校では理想教育運動が展開され、私は自分の理想を口にすることを求められました。私は少しも躊躇することなく『農民になる』と言っていました。その時、大学のツバメとなり、農村は苦難と希望に満ち溢れており、珍しい色彩を帯び、私のロマンチックな心に呼応したのでした。多分私が農村へ行くなどとは、実際に考えたことがなかったからなのでしょう。私にとって農村とは一つの実現することのない夢のようなものだったので、このように少しも躊躇することなく口にすることができたのだと思います。

By whenis , 28 8月, 2016

1923ー1925年の3年間、上海南洋中学と南京東南大学附中に在学しました。1927年、初めてパリに渡り、多くの啓蒙思想家やフランス資産階級革命の歴史についての著作を広く読み、「夜未央」や、「理論学の期限と発展」(上巻)などを翻訳しました。翌年、書いた第一部長編小説、「滅亡」において、彼は小資産階級知識分子の自発的反封建闘争を褒め称えるだけでなく、一切の強権に反対し、個人の絶対的自由を追求する思想を描き出しました。1928年末に帰国し、長年にわたって、上海で著作・翻訳活動に従事しました。

1931年初め、長編小説「激流」、すなわち「家」を発表し、少年時代の生活体験にもとづいた、封建家庭の中での騙しあいや、新旧両世代の衝突を描き、封建社会の礼儀や道徳が青少年に与える弊害を浮き彫りにしました。そして五四時代の青年知識分子の初歩的覚醒と抗争を賛美し、読者に広く深い影響を与えました。同年、中編小説「霧」も出版。その後、相次いで、中編小説「海の夢」、「春の中の秋」、「芽生え」、「雨」、「電」、及び長編小説「甦る」などを発表しました。

By whenis , 27 8月, 2016

蘇童は中国における現代先鋒文学の代表的作家です。1963年、江蘇省蘇州市生まれ。1980年北京師範大学中文系に入学。卒業後、南京芸術学院や『鍾山』雑誌社に勤めました。現在は中国作家協会江蘇分会所属の専業作家です。主要作品は「妻妾成群」、「罌粟之家」、「紅粉」などです。1983年に小説を発表しはじめ、現在までの作品は110万字に及んでいます。彼の小説は、濃厚な江南の風情と唯美的文体で、中国の現代文壇に独自の旗をたてたことでその名が知られます。中国の著名な映画監督、張藝謀(チャン・イーモウ)が蘇童の「妻妾成群」を元にして撮影した映画「大紅灯篭高高挂」(邦訳:紅夢)がアカデミー賞にノミネートされたことで、蘇童は内外のメディアの注目の的となりました。 

蘇童の小説で書かれた主人公は、一人一人、心の中に闇を抱えています。その闇は、もとより、中国という国のありように根ざしたものには違いありませんが、蘇童は、はっきりと、個としての人間の精神の奥に住む闇に焦点を当てていると思われます。台詞と地の文が区別なく、ずらずらと続く不思議なリズムを持つ文体、日常用語で普通に綴る文のなかに、随所に象徴的表現が現れる、微妙なきしみの感覚。乾いた詩のような文章が構築する蘇童の世界は、恐怖と魅力に満ちています。