中国茶の歴史

中国茶の歴史

By whenis , 9 6月, 2018

梅蘭芳(メイ・ランファン)。京劇の役者として、この人ほど日本人になじみのある人はいないと思います。いや、日本ばかりでなく、アメリカやヨーロッパでも広く知られ、「文化大使」の名前さえついています。この人を記念する、梅蘭芳記念館は、北京の中心部、北海公園から北西に2キロほど離れた徳勝門内大街にあります。

 こじんまりとした四合院の建物です。梅蘭芳は1984年、北京の前門近くで、やはり京劇役者の子として生まれました。祖父もやはり役者でしたから、なるべくして京劇の道を歩んだといえます。梅蘭芳はこの場所に1949年から、亡くなる1961年まで住み続けました。四合院の庭が気に入り、内外から多くの訪問客を迎えたそうです。

By whenis , 7 6月, 2018

中国地質博物館は、1916年に最初の基礎ができ、今年7月で90周年を迎えます。中国に数ある博物館の中でも、伝統ある自然博物館です。北京の西四にあり、近くには、広済寺、歴代帝王廟、白塔寺などがあり、とても分かりやすい場所です。

 建物は7階建てですが、このうち1ー4階の4500平方メートルが展示スペースで、20万点を超す収蔵品のうち、1割ほどがショーケースに並んでいるとのことです。1階は地球ホール。直径3メートルもあろうかと思われる地球儀がどんと置いてあります。地球の成り立ちや火山、地震についての解説やパネル展示があり、いわば学習コーナーともいえます。   

 2階にあがると鉱物、岩石の展示ホールです。世界最大といわれる水晶の玉、これは重さが3.5トンもあります。それに、蛍石や方解石の結晶など中国を代表する鉱物標本が並びます。中国のお土産に「玉(ぎょく)」の工芸品がありますが、その原石がこういったものなのでしょう。孔雀石というのも見つけました。孔雀が羽を広げたときのように、赤や緑の鉱物が岩石に自然な形で散りばめられています。

By whenis , 6 6月, 2018

中国は多民族国家です。13億といわれる全人口のうち、圧倒的に多いのは漢族です。納西族、苗族、タイ族、回族、満族、朝鮮族……。みなさんは、どのくらいの民族の名前を覚えているでしょうか。全中国には56の民族が暮らしているそうです。これらの民族の歴史や生活に触れることができる場所が北京にあります。中華民族博物院、別の名を中華民族園といいます。「民族」を主眼にした博物館の役割に、散策が楽しめる公園部分からなっています。

 天安門広場の真北、国家オリンピック公園地区に、中華民族博物院はあります。1992年に竣工した北園、97年に竣工した南園、合わせて40万平方メートルという、とてつもない広さです。ここに、約40民族の居住区が再現されています。

 案内してくれたのは張沢菊さんという摩梭族のお嬢さんです。雲南省の麗江に多く住み、納西族の仲間だそうです。

 張さんによれば、1600万人いる壮族のような大民族もいれば、数千人という文字通りの少数民族もいます。最も少ないのは、チベット自治区に住む珞巴族で2905人だそうです。ここには自民族の文化や伝統の紹介のために、各地からの少数民族が交代でやって来て、1年で三分の一は入れ替るそうです。張さんは、北京での仕事に誇りを持っています。

By whenis , 5 6月, 2018

中国民主の父と慕われる孫文の夫人が宋慶齢です。夫人が1981年に亡くなるまでの住まいが、「宋慶齢故居」として、記念館になっています。場所は北京の后海、その北岸に故居はあります。もとはといえば、溥儀の父親にあたる清朝の宣統帝の住まいだっただけに、敷地は広く、庭あり、池あり、休息所ありとゆったりと作られています。

 この中にある二階建ての主楼と呼ばれる建物が、宋慶齢の仕事の場であり、生活の場でした。事務室、来客をもてなす大広間、食堂、寝室などがそのまま残され、ゆかりの品々が展示されています。宋慶齢は1893年上海生まれ。1915年に日本で活動中だった孫文と結婚します。このときの結婚誓約書がありました。保証人は日本の友人でした。

 三民主義を唱えた孫文は1925年に北京で亡くなりましたが、その遺志を継ぎ、民族団結と抗日、反ファシストを訴え続けました。いま、ここには1万2000点近くが収められています。宋慶齢がここに住むようになったいきさつについて、宋慶齢基金会の何大章副主任が語ってくれました。

By whenis , 4 6月, 2018

北大といえば、清華大学、上海の復旦大学とともに、中国最難関の大学です。円明園の南、中関村の一画を占める広大なキャンパスは、多くの人を引きつけています。その北大の発祥地となった建物が今も残り、北京新文化運動記念館として一般公開されています。

 天安門広場側から故宮に入り、北門を出ると景山公園、北海公園の散策路になります。この道を東の方へ歩くこと10分、赤いレンガ色の4階建ての建物が見えてきます。通りの名は「五四大街」。歴史に名が残る「五四運動」にちなんでつけられた名前です。これは第1次世界大戦後に結ばれたベルサイユ講和条約に対し、1919年5月4日、学生たちが天安門広場で反対運動に立ち上がったことによります。この「五四運動」は青年たちの愛国運動として、中国では重要な教育の柱になっています。

 もう少し歴史をさかのぼれば、1910年代に「新文化運動」という文化啓蒙運動がおきました。科学や民主の重視、文学改革など当時の遅れた社会に反旗をひるがえすものでした。陳独秀、魯迅、周作人といった人たちがリーダーに名を連ね、『新青年』などの雑誌の創刊も相次ぎました。

By whenis , 3 6月, 2018

北京にやってきた人に、真っ先に行くことを薦めたい場所が2カ所あります。それは西三環路にある中央テレビ塔、そして北京市計画展覧館です。北京という都市の広がりと主な観光ポイントがどのあたりにあるかがつかめるからです。

 テレビ塔なら分かるけれど、都市計画館がどうして、と思われる方は多いでしょう。実際に訪ねてみて、そのナゾがとけました。一言で言えば、北京の過去といま、そして未来の姿が模型やバーチャル技術を駆使して見学できるようになっています。

 4階建て、床面積16000平方メートルの建物ですが、2階に行くと、1949年の「北京旧城」の千分の一の銅製のレリーフが目に入ります。高さは10メートル、横幅は9メートルもあります。中央、金色の輝きを放つのは、故宮、後海、北海と湖が広がり、南のほうには天壇公園が見えます。いわば旧市街、いまの北京に重ねれば、地下鉄2号線に囲まれた地域といえばいいでしょうか。

 これと対照的なのが、3階にある北京都市計画模型です。中心の模型部分は、302平方メートル、これに1000平方メートルの航空写真があって、750分の1の縮尺で、いまの北京が作られています。私の住んでいるマンションも捜し出すことができました。

By whenis , 1 6月, 2018

天安門広場の西南側に西交民巷と呼ばれる静かな通りがあります。この一帯は解放前まで、中国金融業の中心でした。各銀行はこぞって店舗を構え、最盛時には15もの銀行があったそうです。

 その一つに保商銀行というのがありました。1910年の創立で、主に天津の貿易商などを相手にしていました。その10年後に、西交民巷で普通商業銀行としての営業を始めました。中国銭幣博物館は、この建物を利用して2003年にオープンしました。由緒ある建物ですから、北京市の「文物保護単位」の指定も受けています。

 実は博物館は1992年に中国人民銀行総行(本店)の中に、ひっそりと設けられていました。貨幣の収蔵、展示は、中国の歴史と文化を広く伝えるためにはどうしても必要です。しかし、銀行の業務のかたわら、見学者を大勢迎え入れる、というのは安全面でも心配です。5、6度の引越しでやっと落ち着いたわけですが、関係者は「もっともふさわしい場所」と喜んでいます。

 玄関を入ると1階が特別展示、2階が秦から清代までの古代銭、3階が近代銭の各コーナーとなっており、陳列台の前には、丁寧な説明文が並んでいます。日本語のできる案内員もいます。日本語テープが聞けるガイドホーンの貸し出しもあるので、安心です。

By whenis , 31 5月, 2018

中国でも、いまは夏休みシーズンです。国内旅行に出かける人たちは年ごとに増えています。「博物館めぐり」は北京を中心に訪ね歩いていますが、今回は浙江省に出かけたのを機に、変わった博物館を紹介しましょう。

 浙江省の省都は杭州です。8大古都の一つで、南宋の都でもありました。西湖を擁し、これを取り巻くように広がる町並みはとてもきれいです。上海から2時間、日本からも直行便が飛んでおり、内外から多くの人を引き付けています。ここには1929年に建造された浙江省博物館をはじめ、茶葉博物館、シルク博物館、漢方博物館など、バラエティーにとんだものがあります。

 南宋時代に最も栄えた焼き物が青瓷器です。これだけを集めた青瓷博物館というのも浙江省にあります。取材で訪ねたのは、杭州から2時間半ほど離れた麗水市にある「麗水市処州青瓷博物館」です。この博物館、ユニークなのは個人の経営だということです。叶英挺さんという、青瓷の研究者でもある人が、20年以上かけて集めたものを公開しているのです。

By whenis , 29 5月, 2018

お寺の境内に至る所、鐘、鐘、鐘。今日は鐘ばかりを集めた北京大鐘寺古鐘博物館を訪ねます。大鐘寺は地下鉄13号線の大鐘寺駅から歩いて7、8分のところにあります。集められた鐘は約700個、そのうち500個ほどが展示されています。  

 鐘は時を告げるものであったり、音楽を奏でるのに使われました。銅製のものがほとんどですが、古いものでは陶器で作られたものもあります。ずんぐりした型だけが印象に残りますが、近づいてよく見ると、花模様とか仏像が彫りこんであったり、銘文が刻まれてあったりします。  

 この博物館で目を引くのは、なんといっても「永楽大鐘」という世界でも歴史の古い最大の鐘です。作られたのは明代の永楽18年といいますから、1420年です。重さは46トン、直径は3.3メートルもあります。46トン以上の鐘は世界に8個あるそうですが、歴史が一番古いのは、永楽大鐘です。京都の知恩院の大鐘もけっこう大きくて、74トンあるそうですが、永楽大鐘はそれより280年ほど早く作られています。そして、銘文が最も多い鐘です。23万余りの経文や呪文が刻まれています。

By whenis , 27 5月, 2018

中国地質博物館は、1916年に最初の基礎ができ、2006年7月で90周年を迎えます。中国に数ある博物館の中でも、伝統ある自然博物館です。北京の西四にあり、近くには、広済寺、歴代帝王廟、白塔寺などがあり、とても分かりやすい場所です。

 建物は7階建てですが、このうち1ー4階の4500平方メートルが展示スペースで、20万点を超す収蔵品のうち、1割ほどがショーケースに並んでいるとのことです。1階は地球ホール。直径3メートルもあろうかと思われる地球儀がどんと置いてあります。地球の成り立ちや火山、地震についての解説やパネル展示があり、いわば学習コーナーともいえます。   

 2階にあがると鉱物、岩石の展示ホールです。世界最大といわれる水晶の玉、これは重さが3.5トンもあります。それに、蛍石や方解石の結晶など中国を代表する鉱物標本が並びます。中国のお土産に「玉(ぎょく)」の工芸品がありますが、その原石がこういったものなのでしょう。孔雀石というのも見つけました。孔雀が羽を広げたときのように、赤や緑の鉱物が岩石に自然な形で散りばめられています。