灞陵行送別
Submitted by whenis on Mon, 04/11/2016 - 20:00作者、李白は盛唐の詩人。杜甫と並ぶ中国を代表する詩人で日本でもよく知られていますね。この時代の詩人、文人は役人だった人がほとんどですが、李白は違います。今日紹介した詩は、彼が40歳代前半に都長安に居た時に作られたものです。都にいたと言っても、官職についていた訳ではなく、いわゆる「宮廷詩人」としての身分でした。それでもやはり李白は、役人になりたかったのでしょう。この身分には満足はしていなかったようです。この時期の詩には「酒」を詠ったものが多く、飲み友達も多く飲中八仙などと呼ばれていました。灞水は、長安の東を流れる川の名前。終南山に源を発し北に流れ渭水に合流し、そして最後には黄河に合流します。この川は東に向かう人との別れの場だったと言います。紫闕は天子の住む宮殿のことで、ここでは都長安の宮殿を指しています。この詩は最後に断腸の思いでここに立つ。別れの歌を聞くに忍びないという言葉で締めくくられています。30歳代の頃に武漢で孟浩然を送った送別の詩に比べて、私には李白の心の動きがあまり伝わって来ません。年齢を経て別れに対する気持ちが落ち着いたのでしょうか、それとも宮廷詩人という立場が影響しているのでしょうか。