指鹿為馬

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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栄華を極めた後、不老不死の霊薬を求めた秦の始皇帝も、結局寿命に勝てず、紀元前210年、ついに死去しました。遺言では、太子の扶蘇を位につけよということでしたが、丞相(じょうしょう)の李斯や側近の宦官(かんがん)趙高などは、自らの利益を守るため、賢い太子扶蘇のかわりに、始皇帝の遺言を偽り、幼い子の胡亥を立てて皇帝にしました。秦二世です。

 その後、趙高は競争者の李斯も殺し、丞相の座にのし上がり、実権を握るようになりました。それでも、趙高は満足が行かず、皇帝の胡亥に取って代わろうと企むまでになりました。ただ、そのためには、宮廷の大臣のうち、どのぐらいの人が自分の言いなりにするか、また、どのぐらいの人が反対するかを確かめなければなりません。すると、趙高はまことに奇態なテストを考え出しました。これによって、自分の威信を試すと同時に、自分に従わない人を明らかにできます。

 ある日、趙高は鹿を二世皇帝にたてまつり、笑いながらこう言いました。

「陛下、いい馬を献上いたします」

 二世はそれを見たら、ぷっと笑い出しました。

 「いやいや、丞相は間違ってるぞ。鹿だろ?」

 それでも、趙高は顔色を変えず、平気にこう言いました。

 「陛下、もう少しよ~くご覧ください。これは確かに千里馬(せんりま)でございます」

 「でも、馬には角があるわけないだろう?」と、二世は鹿をもう一度見てから、半信半疑で言いました。

 趙高は「時機が来たぞ」と決めて、大臣たちに指を刺しながら、大声で言い出しました。

 「陛下、この私を信用できなければ、大臣たちに聞いてください」

 大臣たちは趙高のでたらめにわけが分からず、ひそかに考えます。「趙高はいったい何をしようとしているんだ!馬か鹿かはっきりしてるだろう」と。しかし、趙高が陰険な笑いを見せ、両目をぐるぐるとさせ、みんなをかわるがわる見つめているのを見て、その下心を悟りました。

 正義感があるものの臆病な人は、顔を伏せて、黙っています。話す勇気がありません。嘘をつけば、自分の良心が許さず、真相を話したら、趙高に迫害されるからです。「いや、明らかに鹿でございます」と直言する大臣もいました。また、趙高におべっかを使って、「これは千里を走れる馬でございます」というものも出ました。

 趙高は鹿だと真実を語った人々を覚えておいて、その後、無実の罪をかぶせて、殺してしまいました。以来、趙高に反対するものは大臣の中にいなくなったそうです。

 この「鹿を指して馬と為す」"指鹿為馬"という話は、『史記・秦始皇本紀』に載っています。この四字成語は是非を転倒し、黒を白と言いくるめることを意味しています。

 

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