1925年、清華大学国語学部の教授となり、文学研究に携わる傍ら、散文の創作も本格的に始まりました。1928年、初めての散文集「背影」が出版されました。自らの目で見たことや心で感じたことが描かれ、その繊細さと素朴さで読者に多くの感動を与えました。特にその中の文章の一つ、「背影」は、家庭内に不幸な異変が起きたとき、その父親が駅のホームまで息子を見送る様子が見事に描かれており、散文の傑作として、数十年の間、国語の教科書に取り上げられてきました。
1931年8月、イギリスに留学。言語学とイギリス文学を学びました。その後、欧州5ヶ国を訪問、1932年7月帰国して清華大学国語学部の学部長となりました。そして、1934年に、「欧遊雑記」、1943年に、「ロンドン雑記」を発表。いずれも印象的な手法で著したものでした。
1948年8月病死。享年51歳でした。
朱自清はその生涯で、二百万字あまり、30近くの作品を書き上げました。その大部分が開明書店出版の「朱自清文集」に収録されています。
抗日戦争勃発後、清華大学と共に南の長沙に移り、1938年3月、また昆明に移動、西南連合大学国語学部の部長を務めました。