中国の民間物語・誇父、日を追う

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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太古の時代、北方の荒れた原野に雲に届くような高くそびえた山があり、深い森にはすごい力をもつ巨人たちがいた。彼らの首領は両耳に金色の蛇を吊るし、両手には金の蛇を握っており、その名は誇父という。したがってその一族の名も誇父族である。誇父族の人々は心が優しく、勤勉な上勇敢で、他人と争い事をせず、自由自在に暮らしていた。
と、ある年、太陽はじりじり照りつけて大地に熱くし、樹木は萎れて焦げ、河の水も枯れてしまった。このひどい暑さに耐えられず、誇父族の人たちは次から次へと死んでいった。首領の誇父はこれに心を痛め、彼は太陽を見上げながら、一族の者たちに、“太陽とは実に憎むべき奴だ。私は必ず太陽を追ってつかまえ、我らの言うことに従ってもらうぞ”と宣言した。一族の人たちはそれを聞いて誇父を止めようとした。人々は“絶対に行ってはなりません!太陽は遥か遠くにり、追いかけても力が尽いて死んでしまいますぞ”。“太陽はあんなに熱くので、あなた様は焼け死にすぞ”とそれぞれ言って止めた。しかし誇父はすでに決心がつき、苦痛に悩む一族の同胞たちを見つめ、“みんなが楽に暮らせるようにするため、わしは必ず行く!”と誓ったのである。
こうして誇父は一族に別れを告げ、太陽の登る方向に向って、大きな足取りで風のように追っていった。しかし、太陽の動きは早く、誇父も地上から必死に追いかける。彼は多くの山や川を乗り越え、大地は彼の走る振動で“ゴロゴロ”と鳴り響き、大きく揺れた。そして誇父が疲れて止り、靴を脱いで中に入った土を大地に落とすと、そこには大きな土の山ができた。また誇父が飯を炊くため、鍋を置く三つの石を並べると、この三つの石は三つの聳える山となり、高さは何千メートルにも上る。
こうして誇父は太陽を追いかけ続け、太陽に近づくごとに、自信が湧いてきた。そして誇父はついに太陽の沈む所にまで来たのだ。そして彼は太陽という赤く光る火の玉から、溢れるほどの金の光を浴びた。そこで勇んだ誇父は両腕を広げ、太陽をつかまえようとした。しかし太陽は異常なほど熱く、誇父は喉が渇き、ひどい疲れを覚えた。そこで彼は黄河に行き、一気に黄河の水を飲み干し、また渭河に行って、そこの水も全部飲んでしまったが、まだ渇きを覚えたので北に向った。北には非常に大きな湖があり。その水を飲めば誇父の喉の渇きを充分にいやせる。しかし誇父は向う途中で渇きのために死んでしまった。死に際の彼の心は悔しさでいっぱいだった。そこで自分の一族人を思い、手に持っていた木の杖を投げ出したが、杖の落ちたところには、たちまち茂った桃の木林が生えた。この林は一年中茂り、行き来する旅人に涼しさを与え、実となる桃は人々の渇きをいやし、疲れを忘れさせ、元気を取り戻させ、改めて旅立つことができるのであった。
誇父、日を追うという物語は、中国古代の庶民の日照りに打ち勝つ願いと決意を示している。誇父は最後には亡くなったが、彼の精神は忘れられることはない。中国の多くの古書には、この伝説が記載されて、また中国の一部地方では、地元の大きな山を“誇父山”と名付け、誇父を記念している。
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