中国語外来語 名詞
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
久しぶりに中国向けの手紙の翻訳をやってみた。直接中国語で考え、自分の言葉で話したり書いたりするのとは随分勝手が違う。翻訳・通訳は日本語でこそ別単語だが、中国語では同じで両方とも 翻译:fānyì ̄といっている。自分の語学力の幅の広さや奥行きの深さ(これはとりも直さず人間としての奥行きがどうかということになるが)がどんなものであるかが、人様の書かれた文書を訳していると思い知らされる。今回もその通りで、元の文章に忠実に・正確に・ニュアンスを生かして、その上中国語としてすっきりした、語調のよい文書を作ろうと苦慮した。所謂“信、达、雅 xìn、dá、yǎ”の“雅”に挑戦しようとしたのである。
まず最初に、原文を横目でにらみながら、訳文に抜け落ちがないよう忠実に訳した(“信”)、次に用語を推敲した(“达”)。このあたりまでは私にでも何とかできたのではないかと考え、次のステップ(“步骤”、“层次”)へと挑戦を試みた。しかし、これだけは天分もあり、どうにもならない。半分諦めの心境で日ごろ親しくしている中国人、それも中国の有名大学で語文を専攻された方にチェックしてもらった。校正後どの程度まで原文が残ったかは読者のご想像に任せたいが、かつてサラリーマンとして商社に入ったばかりの頃、客先宛の文書を上司の了解を得るため提出し戻ってきた時、赤ペンで原文が完膚なきまでに抹消、訂正されていたのとそれ程の差はないと考えていただけば、当たらずとも遠からずといえよう(“差不了多少”)。私が自分で訳したものと対比してみて、ネイティブでしかも言語の専門家の添削した文書はさすがに素晴らしい。一文をとりあげた場合、文法的に問題がない事は当然として、文と文との連携具合、全文書の起承転結などが、見事にまとまっていた。今更ながら自分の精進の不足を恥じ入るとともに、原文(日本文)作成者に対し、内心忸怩たるものを感じた次第である。
しかし、それでも「固有名詞」部分では問題が残った。具体的には企業名で文中の「※※紡績株式会社」を彼はすべて“※※纺织股份公司”としたことである。「※※紡績株式会社」は固有名詞であるから、勝手に“※※纺织股份公司”などと変える事は常識的におかしいと言って元に戻したのだが、理屈としては納得しながらも、彼は「中国の対外貿易関係者には何とか理解されるだろうが、一般人にはどうかな。特に“纺绩”“株式”などはね。」と盛んに首を横に振っていた。
本件と関連して、いつも思うのだが、どうして日本と中国では、互いに相手の国の固有名詞を自国の読み方で読んでしまうのだろうか。標記記号(文字)が異なるのはやむを得ないとしても、また一般名詞を自国なりに意味をとって訳すのも、大幅に譲歩して容認するとしても、世界のスタンダードから乖離した固有名詞を自国独自で翻訳することや自国語読みにはどうしても我慢ができない。中国人は誰も私を“FUJIMOTO先生”とは呼ぶ人はなく、全部“Téngběn先生”としか呼んでくれない。
まだ、中国人との接触も少なく、中国語も未熟であったころ、通訳をしていて、中国人が日本で訪問した有名観光地を“Xiāng'gēn”、“Lúhú”、“Hán'guǎn”、“Dēngbié”などと矢継ぎ早に述べ、これを「箱根」、「芦ノ湖」、「函館」、「登別」と理解し口にするのに苦労した事を思い出す。
「人のふり見て、我がふり直せ。」という諺がある。振り返って、我々も中国人の名前、地名をごく一部、たとえば地名でペキン、シャンハイ、ホンコンと現地呼称で呼び、人名もドンシアオピン、ジャンズミンなどという時があるが、実はこれは欧米を迂回して日本に入ってきたもので、直輸入の場合はこうはならない。
日本と韓国とでは1984年チョンドファン大統領来日をきっかけに、地名・人名を、それぞれの国の呼称で読むようにあらためることとし、少なくとも日本ではすでに定着している。日中間も早期にこうなって欲しいものだと考えている。
そうは言うものの、目先の問題はとりあえず解決する必要がある。中国における外来語の導入については先月号で、漢代に続き清末から戦前までの時代を歴史的に考証して見たが、今回はここ十数年来の改革開放による外来語導入状況を現在中国で通用している外来語をピック・アップし分類してみた。
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