五つの神山の物語
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
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Submitted by whenis on 星期五, 07/10/2009 - 20:11
人類の開祖である女媧は人間を造ってから、平穏無事な日々が続いた。しかしある日、天と地が激しくぶつかり、空に大きなヒビができた。そして大地も激しく燃えはじめ、熱い炎が地心から燃え上がって森林を焼き尽くし、大水が淵の底から噴出して山を埋めた。化け物、妖怪、凶悪な獣などがこの機に乗じて残虐をつくし、人類は塗炭の苦をなめている。
女媧は人類に助けを求められたので、まずは化け物や猛獣を殺し、次に大水による災いをなくし、最後に天のヒビを繕うというとてつもない仕事にとりかかった。
女媧は各地から蘆枝を集め、ヒビのある所に持って行き、それを空と同じ高さまで積んでから、空と同じ色の青い石を探した。地上にある青い石が足りないため、仕方なく白、黄色、赤と黒の石を積み上げられた蘆枝の上にのせた。そして地心から出た炎が消えないうちに、一本の大きな木で蘆枝に火をつけたので、その火は宇宙全体を明るく照らして、青い石を始め五色の石も焼かれて赤くなった。そして石は徐々に溶けてゆき、シロップのように空のヒビの割れ目に流れ込み、蘆枝が焼き尽くす頃、空の大きなヒビはふさがれていたのだ。
壊れた天と地は女媧がなおしたが、もとの状態にはなっておらず西北方向の空は少し傾いてるため、太陽と月は自動的にそっちに近づいてしまうのだ。また東南方向の大地は、深い穴を残したので、すべての川の水は東南方向へと流れた、そこに大量の水が溜まり海となったのである。
渤海の東側には、底が見えぬ大きな溝があり、名は“帰墟”という。地上の水でも海の水でも、みなここに流れ込んでくる。しかし“帰墟”の水は、増えず減らずという同じ状態をずっと保っているので、水が溢れ出して人間を溺れさせることはない。
“帰墟”のなかに五つの神の山があり、“岱興”、“員嶠”、“方壷”、“瀛洲”“蓬莱”という。各山は高さが三万里(1.5万キロ)あり、山と山の間は七万里(3.5万キロ)である。頂上に玉石を彫り付けた柵に囲まれた黄金造りの宮殿があって、中には大勢の神が住んでいた。ここの動物はすべて白く、また珍しい木がたくさん生えていて、その果実はいずれも玉石や真珠で美味しく、しかも人間が食べると長生不老になるという。神たちはみな真っ白な服をまとい、背中に小さな翼がある。彼らはいつも海の上、青空の下を鳥のように自由自在に飛び回り、この五つの山の間を往復し、親戚や友を訪ね、楽しく幸せな日々を送っていた。
ところがこんな幸せの中にも、一つの小さな悩みがあった。実はこの五つの山はいずれも海に浮かび、大風が来ると、山は所々に流されるのだ、これが神たちの往来に不便を与えた。そこで彼らは代表を選んで天帝に苦情を申し出た。また天帝も山々が天の果てまで流され、神たちが住まいを無くすことをおそれていたので。海の神である“禺強”に、十五匹の大きい亀に五つの山を背負わせるよう命じた。そこで各山を一匹の亀が背負い、二匹の亀をその左右待機させ、六万年ごとに山を背負うのを交代させることにした。こうして山は安定し、神たちは大喜びだった。ところがある年に、“竜伯国”という巨人の国から一人の巨人が帰墟にやってきた。巨人の体は神の山と同じように大きく、その巨人は釣竿を使って、次から次へと、山を背負っている六匹の大亀を海から釣り上げ、これら亀を背負って自分の国に帰っていった。亀を失った二つの山“岱興”と“員嶠”はこうして北極まで風に流され、海の底に沈んだ。その山に棲んでいた神たちは慌てて引越し、荷物を背負っに空をさまよい、大粒の汗が落ちるほど疲れ果てていた。
天帝はこれを知って激怒し、“竜伯国”のものが二度と問題を引き起こさないようにするため、その巨大な体を小さくしたのだ。また残りの三つの山は亀の背の上にあったため、ずっと無事で、いまでも中国東部沿海に高くそびえ立っているという。
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