中国茶の歴史

中国茶の歴史

By whenis , 31 12月, 2019

高橋:「古典エナジー」。今回も前回に続き、中国の四大奇書に数えられる「西遊記」をテーマにします。

:「西遊記」は日本でも数回もドラマ化或いは漫画化されるなどとても有名ですよね。ただ、日本のドラマ「西遊記」では、女優さんが三蔵法師役を演じていますよね。これ、大多数の中国人はなかなか理解できないんですよ。

高橋:う~ん、今風に言うと、イケメンだからなんじゃないでしょうか。

:まあ、確かに三蔵法師は美貌の持ち主です。中国のドラマでも、イケメン俳優が演じていたんです。でも、どんなに美貌の持ち主でも、女性が演じると、ちょっと違和感がありますよ。

By whenis , 31 12月, 2019

中国の言い伝えによりますと、老子は紀元前6世紀の人物とされます。春秋時代に当たります。でも、あまりにも言い伝えが多くて、老子が実在の人物なのかどうかすら疑われています。老子は、神話上の人物という意見だったり、複数の歴史上の人物を合わせた人物だという説だったり、歴史専門家の意見も様々です。でも、「史記」を書いた中国一の歴史家、司馬遷が老子の伝記を書いています。と言うことは実在の人物として認めたわけですね。

 「史記」によりますと、老子は、姓は「李」、名は「耳」,字は「耼」。現在の河南省にあたる楚の国の出身です。周の国の書庫の管理者だったということです。書庫の管理者って、今風に考えると、国立図書館の館長みたいですよね。老子はある時、周の国勢が衰えるのを感じ、仕事をやめて牛の背に乗って西に向かいました。函谷関を通り過ぎる時、関守の尹喜(いんき)の求めに応じて、上下二巻の書を書き上げました。その書はもしかして、現在に伝わる「道徳経」なのです。老子のすべての思想を綴ったものです。その後、老子は関を出ました。その後の行方を知るものはいません。

By whenis , 29 12月, 2019

孔子は今から2500年ぐらい前の中国の春秋時代の思想家、教育家です。中国だけでなく、世界的にみても最も大きな影響力を持つ人物の一人ですね。「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」有朋自遠方来、不亦楽乎。日本でもよく使われているようですね。友達が遠くから自分に会いにやってきてくれる、それは実に楽しいことだ。友達を迎える自分の喜びを素直に伝えることによって、相手もきっと喜んでくれるでしょう。

 この言葉の出典は「論語」です。「論語」は厳密に言えば、孔子の著書ではありません。孔子の没後、50から100年の間に、弟子たちが孔子と問答をして教えられた言葉や、孔子がいろいろな国をまわった時にその国の君主と行った対話、さらには、弟子が孔子に対して自分の意見を述べた言葉などを集めて全十巻二十編に編纂されたものが「論語」なのです。したがって、「論語」は孔子を中心とする「言行録」です。「論語」という本を開けると、学而第一に登場する最初の教えは、これです。"子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。"

 子(し)曰(いわく)、學びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや、朋(とも)あり、遠方より來たる、亦(ま)た樂しからずや、人知らずして慍(いきどおら)ず、亦(ま)た君子(くんし)ならずや。

By whenis , 28 12月, 2019

孔子には弟子が3000人いるとよく言われます。これはあくまでも大まかな数字で、およそ3500人いるという言い方もあります。2008年の北京オリンピック開会式のアトラクションでは、孔子が3000人の弟子を率いて、諸国を周遊していたシーンが再現されました。役者たちは、竹簡を手にして「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」など、孔子の多くの名言を読みあげました。とても感動的な場面でした。

 孔子の弟子には、優秀な人、即ち、「六芸(りくげい)」(「六芸」とは、六種類の芸です。「礼」は礼儀、モラル。「楽」音楽、詩歌、舞踊。「射」は弓術。矢を射ること。これは人間の心身をともに鍛えるためのものです。次は「御」馬車を操る技術。そして、「書」文字の読み書きから文学です。最後に、「数」、数学、算数です。)に精通する者は72人いました。「72賢人」と言います。さらにその中で、「孔門十哲」、10人の哲学者と呼ばれるトップクラス10人が目立っています。「論語」に載っている孔子との問答でも、よく名前が出てきている学をきわめた逸材です。さらに、「論語」の中で、一番露出の多い3人、いや、言い換えますと、最も目立つ3人の大弟子がいます。

By whenis , 26 12月, 2019

古来、中国文学の主流は一定の韻律(リズム)を踏む韻文~詩です。特に、自然の景色や友情などを歌う抒情詩が多いです。抒情詩と比べて、中国では叙事詩はあまり栄えませんでした。でも、前回ご紹介した「詩経」の「氓」をはじめ、民間の歌謡に由来する名作もたくさんあります叙事詩を通じて、昔の人々の生活や思いを知ることができます。

 今回は、「木蘭の詩」をご紹介します。これは南北朝時代の北朝の民間歌謡に由来するものとされています。中国史では、南北朝時代は、東晋が滅びる420年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指します。その時、中国の国土は、北方には少数民族が支配した国が政権を掌握したり、分裂したりして国と国が対峙したりしていました。一方、南方には、今の南京を都として、4つの政権が林立していました。わずか170年間に、政権の交代が相次ぎ、国と国の間、北方と南方、それに、北朝と周りの少数民族の国々との間に、戦乱がずっと続いていた混乱した時期でした。国の政権が分裂すると、戦乱が続き、国民も戦争に巻き込まれ、不安な生活を余儀なくされます。そんな歴史背景で生まれた叙事詩、「木蘭の詩」をご紹介します。

By whenis , 22 12月, 2019

「古典エナジー」、今回は中国最古の詩集、「詩経」をご紹介します。

 儒教一色だった古代中国では、知識人たちが受験のために勉強しなければならない基礎知識が「五経」という五つの経典のようなものでした。その一つが、詩経です。「詩経」が記された時期は、だいたい西周の初期、すなわち、紀元前11世紀から、春秋時代の半ば、紀元前6世紀に至るまで、約500年間と推測されています。 詩歌305首収められていますので、よく大まかな数字で「詩3百」と呼ばれます。「風」、「雅(が)」、「頌(しょう)」の3部から構成されています。分かりやすく説明しますと、風は諸国の民謡、雅は宮廷の歌、頌は祭礼の歌です。詩経に載っている詩は、もともとリズムをつけて歌うことができるし、振りを付ければ、踊ることもできます。孔子は305首を全部弦楽器で演奏しながら歌ったことがあるそうです。詩経は漢詩の源、大元になるものです。後に中国で盛んになった唐詩や宋詞なども、韻律ということにとてもこだわり、まるで歌うように詠んでいました。

By whenis , 22 12月, 2019

垓下の戦いは、紀元前202年に項羽の楚軍と劉邦の漢軍との間で、垓下(現在の安徽省蚌埠市固鎮県)を中心に行われた戦いです。この戦いで項羽が死んだことによって、劉邦の勝利が決定し、楚漢戦争が終結しました。

 まず、垓下の戦いまでの流れを簡単にご紹介します。

 紀元前203年、長く対峙していた楚漢両軍であったが、楚軍は食糧不足、漢軍は劉邦の負傷や劉邦の父・劉太公が楚軍に捕らわれていたことなどもあり、両軍とも戦いを止めることを願うようになっていました。そこで、漢軍から弁士・侯公が楚軍へ使者として送られ、天下を二分することで盟約が結ばれました。

By whenis , 19 12月, 2019

中国の漢の末期、200年ごろ、現在の安徽省にあたる廬江郡の役所に焦仲卿という下級役人がいました。妻の劉蘭芝とは、とても夫婦仲がいいのですが、焦の母親はこの嫁を気に入らず、実家に追い返してしまいました。実家に戻って嫁の劉蘭芝は再婚はしないと決意しました。しかし、家族に再婚を強要され、結局、川に飛び込み自殺してしまいました。夫の焦はそれを聞いて、庭の木に首を吊り、後を追いました。当時の人はこの悲しい話を聞き、詩として書き残しました。詩のタイトルは「孔雀東南飛(孔雀が南東に向かって飛んでいく)です。

 孔雀が南東に向かって飛んでいます。少し飛んではさまよっています。

By whenis , 17 12月, 2019

中国の漢の末期、200年ごろ、現在の安徽省にあたる廬江郡の役所に焦仲卿という下級役人がいました。妻の劉蘭芝とは、とても夫婦仲がいいのですが、焦の母親はこの嫁を気に入らず、実家に追い返してしまいました。実家に戻っても嫁の劉蘭芝は再婚はしないと決意しました。しかし、家族に再婚を強要され、結局、川に飛び込み自殺してしまいました。夫の焦はそれを聞いて、庭の木に首を吊り、後を追いました。当時の人はこの悲しい話を聞き、詩として書き残しました。詩のタイトルは「孔雀東南飛(孔雀が南東に向かって飛んでいく)です。

 「古典エナジー」、今回は、前回に続き、中国古代叙事詩の名作「孔雀東南飛」をお届けします。前回は聡明で勤勉なお嫁さん劉蘭芝は、姑とは上手くいかず、いざこざが絶えませんでした。夫、焦仲卿は間に入るのですがうまく行きません。逆に自分の母親から新しい女性を紹介してあげるから、その嫁とさっさと別れなさいと、強く求められます。劉蘭芝は余儀なく夫や小姑と別れ、実家に戻りました。夫婦二人は愛を絶対裏切らないと誓い、別れました。前回の番組では、ここまでご紹介しました。今回はその続きをお届けします。

By whenis , 16 12月, 2019

「古典エナジー」、前回は、「老子を知ろう」というタイトルで、老子の生い立ちなどをご紹介しました。今回は「老子に教えられた成功の道」をテーマにしたいと思います。

 成功、出世というものは誰でも望むことですね。もちろん、人によって成功や出世というものの理解が異なりますが、人生にとって永遠のテーマだということは、間違いないでしょう。清の時代の学者、魏源は老子の「道徳経」を解説する本を書いたことがあります。「道徳経」は「救世の書」と称えました。「救世の書」、つまり世界を救う本という事ですから、角度を変えて見ると、人々の成功を指導してくれる本でもありますね。

ぼんやりとした成功の道