明代の建築--万里の長城
皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。
私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
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Submitted by whenis on 月, 09/28/2009 - 19:17
明代(1368―1644)から中国は封建社会の末期に入った。この時期の建築様式はほとんど宋代の伝統に従い、著しい変化は少なかったようである。しかし、建築の設計と企画はスケールが大きくなり、雄大であることが主な特徴と言えるだろう。
明代の都市規制と宮殿建築はすべて後世に使われている。都の北京と中国で現存し、規模の最も大きい古い都である南京はこの時期の都市規制と経営に恵まれている。清代の皇居でも明代の宮殿に基づき絶えず拡大し、完備されたものである。明代の北京城は元の基礎に基づいて改築され、外城、内城と皇城の三つからなっていた。
明代は引き続き雄大な防御建築――万里の長城の修築に力を入れていた。長城の多くの重要な区切りのある城壁、関所は煉瓦で作られ、高い建築レベルに達している。明代の長城は東は鴨緑江から、西は甘粛省の嘉峪関まで、5660キロの長さに達した。山海関、嘉峪関など有名な城楼は中国の建築芸術で独特な風格を持つ傑作である。北京の八達嶺長城、司馬台長城なども高い芸術価値を有している。
図:万里の長城
この時期、建築の面では木造構築の芸術、技術などが速やかに発展し、官式建築は造形が穏やかになり、装飾画などの装飾も定型化されるようになった。装飾や陳列には煉瓦やガラス、木など異なった素材を使った作品が沢山残されています。特に煉瓦は壁の建築に普及されている。
明代には中国の建築群の配置が更にまとまってきた。南京の明孝陵と北京の十三陵は地形と環境をうまく利用した陵墓の傑作とも言える。
そのほか、当時江南(長江以南)の官僚地主の個人庭園も非常に発達しており、明代の家具も世界にその名を知られている。
また、風水は明代になって非常に流行ってきた。中国建築史上で独特の古代文化現象をもたらし、近代まで影響を与えている。
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