北京の地下鉄の旅 ―平安里駅―
Submitted by whenis on Tue, 10/23/2018 - 08:22「里」という字が地名として使用され始めたのは春秋戦国時代で、最も盛んだったのは前漢から唐時代にかけてでした。しかし、北京においては「里」の字を地名として用いたのは民国時代で、1938年に出版された『最新北平全図』の中にその文字を見つけることができます。平安里の誕生は庄親王府と深い関係があります。清王朝末期、多くの旗人(旗とは支配階級だった満州族がつくった社会、軍事組織。八旗制度と呼ばれる。このいずれかに所属した満州人、モンゴル人、漢人は"旗人"と呼ばれた。)がいましたが、その中には皇帝の親類もいました。生活の支えを全て失い、食いつなぐために全ての財産や家を売らなければなりませんでした。庄親王の溥緒もそのうちの一人でした。1920年代、天津軍閥の李純とその弟の李馨が20万元相当の銀で、溥緒から住宅を買い上げました。そして彼らはここに新しい住宅を建設し、「平安 里」と名づけました。
平安里交差点の北側には護国寺通りがあり、600メートルほどの通りは明、清時代には有名な商店街の1つでした。
観光スポット
護国寺(护国寺)