中国の物語・東郭先生とオオカミ
Submitted by whenis on 日, 08/09/2009 - 14:39アラビアンナイトの《千一夜》と《漁師と悪魔》の物語は広く世界に伝わっているが、実は中国にも内容の似たような物語があった。このほぼ誰もが知っている物語とは、東郭先生とオオカミである。
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アラビアンナイトの《千一夜》と《漁師と悪魔》の物語は広く世界に伝わっているが、実は中国にも内容の似たような物語があった。このほぼ誰もが知っている物語とは、東郭先生とオオカミである。
「愚公、山を移す」は実話ではないが、中国では誰もが知っている説話だ。これは《列子》に記載されている。《列子》は紀元前四・五世紀に列御寇という哲学者が書いた本である。
この説話はつぎのようなもの。
むかし、愚公という老人がいて、歳は九十近くになる。彼の家の前には二つの、太行山と王屋山という二つの山がはだかっていたので、人々は、山の向うへ行くのに大きな不便を感じていた。
ある日、愚公は家族全員を集め、「あの二つの山はわが家の門をふさいでおるので、出かけるときはいつも遠回りをしなければならない。ならばみんなで力を合わせ、あの二つの山を他に移そうと思うのだが、みんなはどう思う?」と言い出した。
それを聞いた愚公の息子と孫たちは「その通りです。明日からやりましょう!」と同意してくれた。ところが、愚公の妻はこの二つの大きな山を移すのは無理だと思い、「もう私たちは長年このように暮らしてきたというのに、このままで生きていってもいいじゃないのかい?それに、あんな大きな二つの山少しづつ移せるとしても、その土や石をどこへと運べばいいのかい?」と反対した。この愚公の妻の言葉はみんなの議論を招き、確かにそれが問題だった。そこでみんなの意見がまとまり、山の土と石を海へ運ぶということになった。
ある日、虎は腹を空かせ、獲物を探し回った。運よく、かれは一匹の狐を捕えたので食べようとした。だが狐は「お前には私は食べられないさ。私は神に派遣されてきたんだ。神は私を百獣の王に封じたのだぞ。もしお前が私を食べれば、神の意思を逆らうことになるのだぞ。」という。
狐の言葉を聞いた虎は半信半疑、空腹を我慢しながらも、どうすればいいのか分からずにいた。この戸惑っている虎を見た狐は「ウソだと思うのか?ならば私が前を行き、お前は後からついて来るがいい。動物たちが私を見れば、きっと逃げていくだろう!」と言い放った。
では、やって見ようと思った虎は狐に言われたとおり、その後について行ったところ、果たして、動物たちは自分たちをみて恐れをなし、四方に逃げていったのである。しかし、虎は動物たちが怖がったのは、狐ではなく、自分だったということには気づかなかったのだ。
この成語は、真と偽は表から裏へと、一歩一歩と深く追求して区別するべきである。でないと、「虎の威を借りる狐」のようにの人に欺かれてしまうと人々に忠告している。
ある浅い井戸に一匹の蛙が住み着き、楽しい日々を送っていた。ある日、蛙は東海からやってきた一匹の海がめに「ここは毎日楽しいぞ!遊ぶときは柵の上を飛びまわり、休みたいのなら井戸の壁の欠けた瓦で休み、泥を踏んでも、足をとられるまで沈まないぞ。それに比べ、あの小さな虫けら、蟹とオタマジャクシなどは、まったく私には及ばないよ!それに、私はこの溝の水を独り占めにしており、飛びたいときは飛び、休みたいときは休むんだ。本当に素晴らしい!お前さんも井戸に降りてきて見物して行かないか?」と自慢した。
そこで海がめは右足を井戸に踏み入れてようとしたが、まだ左足を入れていないというのにもう右足が挟まれてしまった。そこで海がめは井戸に降りるのはやめて、蛙に、「遥か千里といえば遠いと思うだろう?だが、それは海の広さを表せない。千仞といえば高いが、海の深さはそれでは表せない。夏の禹時代にすごい洪水で氾濫したが、海の水は少しも増えなかった。商湯時代に八年中七年は日照りに襲われたが、海の水は少しも減らなかった。永久なる海は、どんなに月日が流れても変わらず、どんなに雨が多くとも海面は高くならないんだぞ。これこそが東海に住む私の一番の楽しささ!」と海亀は言ったという。。
古代、楚の国のある貴族が、先祖を祭ったあとの礼として手伝いにきてくれた食客たちに、一壷の酒を贈った。そこで食客たちで、「みんなで分けて飲んでは足りないので、一人が飲めば、まだ余るというもの。そこで、みんなで地面の蛇を描き、最初に描き終わったやつがこの酒を全部飲むということにしよう」と話が決まった。
やがて、一人が最初に蛇を描き終えた。そこで彼は酒を飲もうと酒壷を手にしたが、自分が一番早く描き終わったことを自慢したく、「見ろよ、私にはまた蛇に足を添える余裕があるぞ」と言って、蛇に足を画く加えた。
と、彼が書く加え終わらないうちに、もう一人が蛇を描き終え、彼の手から酒壷を奪い取り、「もともと蛇には足がない、そうして余計なことをした!」と言って一気に酒を飲み干した。蛇に足を書き加えた食客は、自分が飲むべき酒をなくしたのである。
この寓話は、何をしようにしても、具体的な要求と明確な目標を持ち、しっかりした意志でそれを求め、完成させるべきであり、勝利に酔うばかりでは、必ず失敗を招いてしまうと人々に教えている。